刀剣乱舞はじめたら面白い

 

まだ文体が定まらなくて、今回のは大体が常体?になってる。こっちの方が書きやすい気がする。

 

刀剣乱舞」の話です。Pocket版として配信されているアプリをダウンロードしてからもう少しで一年経ちそうです。その間に何をやったか考えたりしたのかとかを書きました。とりあえず簡単な概要をはじめに。

 

 

西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。

歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、

最強の付喪神“刀剣男士(とうけんだんし)”と共に過去へ飛ぶ――。

 

刀剣乱舞-ONLINE-とは?

名だたる刀剣が戦士へと姿を変えた“刀剣男士”。

あなたは彼らを率いる“審神者”となり、歴史を守る戦いに出ます。

短刀、脇差、打刀、太刀、大太刀、薙刀、槍、剣の

計8種の個性豊かな刀剣男士を集めて育て、あなただけの部隊結成!

様々な合戦場を攻略していく、刀剣育成シミュレーションゲームです。

(http://games.dmm.com/detail/tohken/)

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 62振り配布キャンペーンの期間中に始めたので、「いっぱい来たけど、どうしたらいいんだ」て混乱していた。

 


 基本的には刀剣男士を集めて育成するゲームで、プレイヤーがやることと言えば出陣等の指示、拠点内での仕事(内番)の指示、出陣して傷を負った刀剣の手入れや、鍛刀(簡単に言えばガチャ。資材を使ってやる)くらい…。一見やる事が多そうだけれど、数回こなせばそうでもない。何回も同じ場所を周回する事になるが少し前まで1発で倒せなかった敵を倒してたり、戦況の変化が見えたり成長を感じるタイミングは毎回嬉しいものがある。

 ゲーム内では特にそれらしいイベントがない限りゲームにおける「ストーリー」があまり無い。刀剣男士それぞれにはその刀剣が持つ逸話などが反映されているが、特定の組み合わせで出陣させたり、その組み合わせで特定の場所に出陣させないと見れない会話(回想という)が殆どでそれを見ようとしてやらない限りは中々見れない。

 ストーリーとは別にゲーム内でのホーム画面には1名だけ刀剣男士が居る事になる。4つまで持てる部隊のうち第一部隊の隊長に指名すると「近侍」(1番近くに仕える秘書みたいなポジション)になりホーム画面に毎回現れるようになる。キャラクターをタップすれば自身についてや、関係のある刀剣についてなどの発言が聞ける。その内に同じ刀剣男士を入手した場合は合体(習合)させれば話のレパートリーが増えて、鍛刀や手入れが終わった事を知らせたりして個人的には距離感が近くなるイメージに近い。

 回想等は総合してみるとかなりの量があるが、ひとつひとつは短い。勿論それらを回収するためにはレベルを上げて難易度の高いステージをクリアしたりする必要はあるがそれはいつだって見れる。一定の期間で次の物語が追加されて置いてけぼりを喰らうという事もないので、リアルや他ジャンルに忙しくしていてもふと戻ってきた時に自分のスペースで進めやすい。これは大きなポイントだと思う。

 

 

 ゲーム内でする事はシンプルだが、イベントや極発表等など現在進行形のゲーム的面白さは勿論かなり強い。新しい刀剣男士が発表されればTwitterのトレンド入りを果たし、極(修行に行ってワンランク上になる感じ)が新しく誰かに実装されると発表されればそのシルエットだけで何の刀なのかの予想で盛り上がり、考察がかけ巡らされる。何かあれば毎回お祭り騒ぎだ。

 それと同時に大きいのがゲーム外でのメディア展開だ。私が観たのはアニメ「刀剣乱舞 花丸」、舞台、実写映画…。これら以外にも様々なメディア展開を広げている。面白いポイントとして作品ごとに別の「本丸」が存在していることを公式が示唆している(アニメ花丸では冒頭で毎回「とある本丸のとある刀剣男士達のお話です」と述べている)。「本丸」とはゲーム内での拠点のことで、作品ごとで別の本丸の話であり、「ウチはウチ、ヨソはヨソ」形式を取りながら世界観の様々な面を描き続けているし、ユーザーにも各々の本丸像があるのでそれを自然と考えやすいようになっていて一人一人のものにしやすいのかなぁと考えている。

 あと、舞台以外にミュージカルもあるが、こちらは全く見た事が無い…。話題は頻繁に見かけるのだけれど今は追うなら舞台かなぁと考えている。また機会があればミュの方も見てみようね。 

 

 

 個人的に「舞台 刀剣乱舞」シリーズはかなりの衝撃だった。面白い。それ以前に自分で勝手に舞台作品というものに縁がないと決めつけてしまいこのような類のものには今まで触れてこなかった。というかそもそも、刀剣乱舞自体が自分にとって触れる機会は無いと思っていた。

 舞台作品は6本(虚伝初演、義伝、ジョ伝、維伝、悲伝、天伝)を観たがどれも強い熱量が込められていて印象が深いものばかりだった。作品ごとに刀剣の持つ逸話、それに関する歴史や歴史上の人物が現れそれぞれのストーリーのレイヤーを重ねながら1つの作品の物語を作っている。ここが大好きで自分が毎回注目しているポイントだ。

 この舞台作品シリーズでは一番初めに審神者によって顕現した刀剣男士、山姥切国広が近侍になり本丸にいる数多くの仲間たちという大きなものを背負うことからはじまる成長譚でもある。作品それぞれに現れるキャラクターも共通したり、新しく現れたキャラクターで構成され、それぞれの「物語」と向き合いながら、同時に話が展開していく。舞台の物語上の本丸は少々特殊な気もするが…勿論ゲーム内での回想、設定等を織り交ぜながら作られているので「刀剣乱舞」というメディアに触れる人々の世界観、キャラクター等の解像度を上げるものになっているのは間違いないと思う。

 実写映画もある。舞台とは別本丸のストーリーなので舞台とは違った展開を持った「本能寺の変」についての物語だ。キャストのほとんどが舞台版と同じキャストを起用している。個人的には舞台よりもこちらを先に観たのだが、歴史に含まれるそれぞれの可能性と関わる人物とその人たちが持っていた刀やキャラクター像、敵対する勢力がどういう動きをしているかについてなどがわかりやすく構成されているので、「刀剣乱舞をよく知らない」という人にもおすすめできる作品だと思っている。映画は現在Amazon prime videoにてプライム会員は追加料金なしで視聴することができる。

 

 

 私の地元は京都だ。ゲームに登場するキャラクターのモデルになった刀剣の中には京都にゆかりがあったり、現在京都に現存している刀剣もある。(ここの話題に出てくる「薄緑(膝丸)」「鬼切丸(髭切)」もそう。)

 京都市大覚寺に「薄緑(膝丸)」は現在所蔵されており、2020年10月に大覚寺にて展示されていた際に見に行った。きっかけとしてあったのが「薄緑」を収める刀箱としてあったものが別の刀を収めるものだったということが分かり、そこから刀箱と同時に白鞘と鎺(はばき)を新調するために勧進を募った結果を公開する場を設けた、という事だった。

*1*2 

 これもまた興味深いポイントで、刀剣乱舞のメディア展開からきた文化、社会貢献の力は計り知れないものがある。焼失したと思われていた刀を見つけ、再現作を作るにまで至ったりしている。ゲームがもたらす社会貢献力は想像以上に大きいと考え続けていたが、改めてその力が強いことを実際に刀剣乱舞に触れてから大きく実感している。

 大覚寺の「薄緑(膝丸)」、北野天満宮にて展示されている「鬼切丸(髭切)」も見にいってきたが、この二ヶ所を回って実感したのが「これもしかしなくても、刀剣の見方がわかっている方がよくないか…?」ということだった。近日中に書店に向かって書籍を2冊購入した。わかってきたかどうかは怪しいが何も知らないよりかは良いよなと自らを説得しながら本を読み込んでいる。刀剣鑑賞、想像以上にかなり面白いのでこのまま続いていかないかなぁと次行けそうな展示の機会を期待している。大阪であった「埋忠展」には行く事ができた。刀剣乱舞コラボの展示グッズなどを買ったりキャラクターのパネルの前で写真を撮ったり…。(キャラのパネルと写真撮るとかやった事なかったので授業参観に来た親みたいになってた)普通に今までやってこなかった事をやって楽しかった。

 しかし、このご時世なので遠出が難しい。こんな状況になく自身のスケジュールに余裕さえあれば今頃私は水戸をはじめとした様々な場所にすっ飛んでいたのだけれど、そういうワケにもいかずに悲しみにくれた結果、通信販売でミュージアムからパンフレットを取り寄せたりした。収益の何割かは運営とか何かしらの役に立っていてほしいと思っているし、ほんとうは実際に足を運んで実物を自分の目に納めたい。

 大覚寺北野天満宮での刀剣の展示は2021年ではいくつかまだ機会がある様だった。北野天満宮は鬼切丸以外にも沢山の刀剣が展示されている。以前に足を運んだ時には展示場所に入った時点で私1人しかいなくて「これでは見に来た自分が大勢の刀剣に「見られてる」みたいじゃないか…」となったりした。

 

 もうスマホにゲームは増やさないぞ~とか言っていたのにもう早くもあと数ヶ月で一年が経とうとしている。勧めた友人も怖がっていた。いつもプレイしているコンシューマゲームより現在進行形だし、ジャンルとしてはかなり規模が大きい(普段が小さい)。どんどんグッズが出てくるし、新しい刀剣男士は現れて舞台新作情報が公開されていく…。自分の財布と相談しながらこれからも自分のペースでゲームと関係する物事等を続けられたら一番いいなと考えている。

 

 

*1:京都新聞「源氏の重宝「膝丸」の刀箱、本来は別の箱だった 浄財で専用の箱を新調へ、京都 大覚寺所蔵」

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/230635

*2:大覚寺「薄緑」の公式HPhttps://www.daikakuji.or.jp/usumidorihizamaruofficialhp/

今最近のこと

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引っ張られている図

 

 最近「こんな状況だからこそ」「おうち時間に…」という言葉をよく見聞きするようになった。確かにここ数ヶ月の特殊な状況にいる自分の身に合うものはあるし普段以上に自身の行動に意味を見出したくなったり、変な疲れや消耗のし方をするからかいつもなら買わない値段のルームスプレーや浄水ポット、枕を買ったりしてるけれども…。

 そんな感覚も必要ないかといえば別にあってもいいとは思うけれどもたまにその感覚の物差しが本当にいるのか考えてしまう時があります。「元気のでる映画!」「こんな時だからこそ見たい!」などの言い方は増えたけど、今からでるものでもその物差しは当てはまるか、どこまで必要か考えてたいと思ってます。それらがなくても評価はされるだろうしなんだか映画、音楽やゲームなり作品をちゃんと見れてないような気がすごいするんですよね…。

 というのもここに最近プレイしたゲームの話とか書きたいのについ「この話今に似てるよね」とかそういう要素に勝手に変換してしまったり、考えてしまうので書くことがなかなか進まないし思うように考えられない自分やそういう感覚に変わってしまった事に嘆いては閉じての繰り返し…。いっそのことこのこと書いてしまえと書いているわけですが。普段は直接編集ページに書き込まずにメモとかにチマチマ書いては消しを繰り返しているけれども今はそれよりも書き出して早くどこかに放り投げてしまおうという事で直接編集ページに書いているので文が若干どころかかなり崩壊しているところあるかもしれません…。

そんなわけでココを作ってからノリノリでやってたのにいきなり思いがけぬとこに躓いてしまったな…となっとります。次がどうなるかな…

映画のこと

 ためしに最近思い出した映画とかの話をするだけ。

震える舌

 新型コロナには感染したくないけれども、日常生活は普段から危険だと感じることは多々あります。「震える舌」を観てから数日は「ゼッッッタイに怪我したくねェ!!!!!」と普段の倍は身の回りの物事に慎重になった。映画の内容は3人家族の一人娘が破傷風にかかるストーリーで、とにかく重い、しんどいが積み重なる。

 どれだけ物事に慎重になっても、病気になる時はサラッとなってしまうものだから人間って思ってたよりも脆いなと近年で考えるようになった。そのことの関係でいけば、最新作「ミッドサマー」監督のアリ・アスターは「肉体はいつか無条件で僕たちを裏切る」といかにもな名言を来日時のインタビューで語っていた。「震える舌」は内容自体は病気にかかった娘と両親の闘病生活がメインになっているが、観ていてホラー的な要素を彷彿とさせる要素がいくつかあります。とある物事についての不安や恐怖心から派生してやってくるホラー映画は多く語られてきましたが、「震える舌」もその筋でいくならばやはりホラー映画に限りなく近い作品なのかもしれないと改めて考えてました。

 

「ファーストマン」

 どこかで配信がスタートしたとかで観た。「ファーストマン」は人類で初めて月面着陸に成功した人物ニール・アームストロングについての物語で、この作品のポイントはアームストロングについての個人的な物語の範疇にあり続けているところだと思ってます。幼い間に他界してしまった娘について、自身の仕事、「月へ行く」ということについて、危険と隣り合わせの現場、いつ死んでもおかしくないし周りの同僚は死んでいくそんなことを英雄譚として描き出すのではなくアームストロング一人の人間としての内面について徹底して描写されている作品。

 宇宙船内の映像がほとんど内からの映像で、外観が出てくるシーンは限られている。宇宙船内は狭いし暗く、視界も限られています。外を確認できる窓はかなり小さい。おまけに機体が軋む音や素人目にみてもわかる「これ大丈夫なの?」と思わせるところがあったり、「こうなるとヤバい」というシーンがあらかじめ登場するなど「月へ行く」という工程の危険さの表現がかなり効いていて、観ている間に何度か手に汗を握り、不安で怖くてという「映画だなぁ」という感じの場面がありつつも、全体的にこの映画は静かでアームストロングの持つ寡黙さと共にあり続けている。

 アームストロングを取り巻く環境の中に「いつ死んでもおかしくない」というのはポイントの1つで、いつだって死が近くにある。この映画内に何度も映る狭く暗いコックピットを持っている宇宙船はまるで棺桶のようだなと観ていて感じるところがいくつもありました。意図しているよね?

 実際に当時公開中に映画館へ観に行った後、映画館を出ればあたりは暗くなっていて、雲のない真っ黒な空の中に明るく輝く月の姿があった。あんな所まで実際に行った人物がいるという現実についてと、月を見る感情が以前とは違うものになったと思う。

自分の周りではあまり話題になっている気配は全くしなかったけれども今作は監督前作のLA LA LANDとは変わってかなり静かでトーンの効いた作品ではありつつも、しっかり良作だと思ってます。

 

 

「パラサイト/半地下の家族」

 上映が開始されてからそこそこ早いうちに行った記憶がある。まだ上映していた(?している?)所があるからかどうかは分からないけれども、そういえばなかなかソフト化の話聞かないなぁと考えていました。海外ソフトのスチールブック良いデザインだったね。

当時は「すごい物を観た!」と度肝を抜かれるってたぶんこういうことを指すのかなとか呑気に考えていました。隙の無いテンポと緩急の効いた抑揚があり、若干のコメディ色が見える映画作品で確かに中盤からのストーリー展開については観ている間に館内の空気がどよめいた感じがしました。(ほぼ満席状態だった) ある時点まではポンポンとうまく進む物事を気持ちの良い調子で見せて「この映画、こうやって見るんだよ」って言われてる感じでリードされてるんだって観終わってからハッとしました。蹴り落とすとこで笑ってる人いたのってそういう流れに乗せられてて、そこでふふって笑った後に事が大きくなってしまった事にハッとするというか…。

 ただ、一旦全てを通して観た後に「確かに自分は面白い映画だとは思ったし、多くの人がこれは傑作だと言うだろうけれども自分たちはどこを「面白い」と思ったんだろう?」と考えるようになりました。題材としてあるのは「格差」が主にあるのは明白ですが、フィクションの話だろうと実際に本編中に登場するような半地下の家庭は存在するし、それを映画という娯楽作品に持ち込まれてあのような映画ができたことについての考えを少しでも持っておくべきでは…?となりました。別に映画の見方はそれぞれだし、「こう観るべきだろ」とか強要する気はありません。ただ、観る人の考え方とバックグラウンドが試されているような映画だなと感じました。面白がれない人がいる可能性というのは他の映画についても当てはまりますが、そんなことを考えさせられた映画でした。                                             

 

・2021年5月16日に少しだけ足したり編集しました。